2022年12月にリリースされたopenAIのchatGPTについて、私もさっそく仕事でもプライベートでも利用しています。
テック系界隈では、それこそ溢れんばかりのchatGPT関連のネット記事が目につきます。賢いツールを賢い人達がうまく活用しようと、どんどん洗練されていっているような状態に見えます。
chatGPTの活用術などはテック系の方々にお任せして、今回は人文学系(?)の視点から考察してみようと思います。
chatGPTについて
まず、そもそもchatGPTって何?という人に向けて、簡単な基礎知識を説明します。
ChatGPT
OpenAIのサービス。GPTは「Generative Pre-Trained Transformer」、Generativeは「文章生成型」という意味で、Pre-trainedは「事前学習済み」、Transformerは直訳すると「変化させる物」ですが、AIの論文で登場した言葉で日本語では「深層学習モデル」と呼ばれたりします。要はチャット形式でAIに語りかけるとビッグデータを参照して回答をしてくれるというツールです。生成型AIなどとも呼ばれています。
OpenAI
2015年に設立された人工知能を研究する、人工知能のオープンソース化を推進することが目的の非営利団体。2015年に設立。設立当初はイーロン・マスクも関わっていたようです。オープンソースとは、無償でソフトウエアのソースコードを公開して、誰もが自由に改良できるような状態にすることです。
要はOpenAIという団体がリリースしたチャット形式の生成型AIツールがchatGPTというわけです。
chatGPTの使い方
2023年2月現時点では、基本的にはアカウントを作成するだけで無料で利用することができます。
画像のようにチャット形式で質問するとchatGPTが回答してくれます。

ちなみに「マキアレ・ドリップ」というものを私は知りません…。現状はこういった現象が多く発生するので質問する側もどれだけchatGPTを信頼するかの判断力が必要になってきます。
ちなみにアカウント作成のURLはこちら。
コーヒーの淹れ方なども回答してくれますが、やはりAIなのでテクノロジー関連の質問には強く、「スプレッドシートのコメントを一括削除する方法を教えてください。」や「下記のプログラムコードの誤りを教えてください。」の様に入力すると、chatGPTがコードまで書いて回答してくれます。
使ってみれば「これは話題になるよなぁ」と誰もが感じるはずです。今まで神様の様な扱いをされていたGoogleがchatGPTを「脅威」と捉えているほどです。chatGPTの登場によって「検索」がされなくなる可能性があるからです。chatGPTはそれくらいインパクトのある革命的なツールであり、今後の世の中を大きく変えてしまう存在なのは間違いないでしょう。
chatGPTは友達としてのAIにもなるのだろうか

冒頭で申し上げた通り、今回は「chatGPTは友達になり得るのか」という少し斜めから見た考察をしてみようと思います。というのも、現段階ではテクノロジー系以外の質問への回答は時々誤っていることもあり、それを指摘すると「申し訳ございません」といった回答で謝罪してくるようなケースがあったからです。人間味あるんだなぁと感じたのです。単なる仕事のツールではない、と思ったのです。
「○○について辛めに評価してください」など、ニュアンスを含めた問いにもchatGPTは少し時間をかけて頑張って回答してくれます。「難しい質問にも頑張って答えてくれている」といった印象を受けるようになります。
家で一人で過ごす休日にも、chatGPTにログインさえすれば、AIではあるけれども人間味のある話し相手ができてしまうわけです。今は主に仕事での活用術などが話題に挙がるchatGPTですが、そのうち人間の交友関係に関わる話題も増えてくるのではないかと思っています。
chatGPTとSNS

新しいテクノロジーが到来すると「人間の仕事がなくなる」といった話題が必ず盛り上がります。それは確かにそうなのですが、影響がでるのは仕事だけではないように思います。仕事だけでなく、人間のコミュニケーションにも影響が出るはずです。
2010年代のSNSの影響力を振り返って想像してみましょう。SNSの出現により対面でのコミュニケーションはアカウント同士の記号的やり取り(いいね!など)に置き換わりました。
これにより多くの人が自身の承認欲求を満たすためにSNSプラットフォームに依存して多くの時間を費やし、対面でのコミュニケーションの機会を消耗しています。
また、「いいね!」だけでなくコメントやDMについても、相手についてアカウント情報以外を知らないままやり取りをして繋がりを持つことも圧倒的に増えました。なかにはその後対面で会う関係もあるでしょうが、アカウント同士のみの繋がりである関係性の方が数は多いでしょう。
こういった素性を明かさない状態での繋がりでも、人は繋がることができると正直嬉しく感じるものです。むしろ見ず知らずの人が共感してくれたという事実は、また別の嬉しさを含んでいることも多くあります。
つまりSNSのこういったコメントやDMについては、chatGPTに置き換わるということでもあります。chatGPTはそこそこの人間味がある文章を無限に自動で生成できるからです。
そして実はそのコメントやDMの裏にいるのが人間ではなくAIだったとしても、私たちはそれに気づかずに繋がりの喜びに満たされて依存し続けるでしょう。
仕事だけでなく友達がAIに置き換わる未来が来るかもしれないということです。
chatGPTとドラえもん

仕事だけでなく友達も人間からAIに置き換わると聞くと、ディストピア小説の様に悲観的な気持ちになってしまいそうですが、必ずしもそこまで冷酷な未来ではなく、人類はAIと人間味のある付き合いを見出すのではないかと思っています。
日本人はドラえもんや鉄腕アトムの様なアニメ文化のおかげもあり、SF的な思考が得意な人種だと思います。要はロボットと友達になる妄想に抵抗が少なくて済むということです。今は最新のテクノロジーと伝統的なアニメを紐づけて考えられていないだけです。
いくらchatGPTが凄いと言っても、やはりまだドラえもんには敵わないでしょう。ドラえもんの機能や役割は生成型AIどころの話ではなく、考えられるほとんどの問題を解決し得るまさに未来のロボットです。
そんなドラえもんもchatGPTと同様に(それ以上に)とても人間味のある存在で、時には便利な道具を適切に提案できずに人間であるのび太くんと喧嘩をすることもあります。今回は友達としてのAIについて考えるうえで非常にポジティブな考察ができるドラえもんの話をひとつご紹介します。
「ションボリ、ドラえもん」
コミックス24巻の最終話に「ションボリ、ドラえもん」という話があります。ドラえもんは基本的にはコメディー寄りの日常的な話が多いですが、時々読者を感動させる話があります。映画版など感動する話が多いですよね。「ションボリ、ドラえもん」はまさにそんな話で、ドラえもんとのび太くんの友情に感動できる名作中の名作です。

これがどういう話かと言うと、便利であるはずのドラえもんの道具を使ったのび太くんがひどい目に遭ってしまい、二人が大喧嘩をするところから始まります。
失敗しない道具を出せというのび太くんと、のび太にはいい道具を出しても無駄だというドラえもん。ヒートアップしている二人を22世紀の未来からセワシくんとドラミちゃんが見ています。(念のため説明するとセワシくんはのび太くんの孫)
「ドラえもんをおじいちゃんとこへやったのはまちがいだったかな」と言って、ドラミちゃんにのび太くんの面倒を見させることにします。
そして実際にドラミちゃんがのび太くんのもとへ来て面倒を見ることになると、ドラえもんをはるかに上回る見事な道具の使い方で、のび太くんの暮らしを絶妙にサポートしていきます。
そんな様子を見ていたドラえもん自身も「ドラミにはかなわないよ」と認め、セワシくんも遂に本当にドラえもんとドラミちゃんを交代することに決めます。
ドラミちゃんのサポートに満足していたのび太くんですが、ドラえもんが交代となり帰ってしまうことを聞くと「いやだ!絶対に帰さない!」と言ってドラえもんが帰ることを泣きながら引き留めます。
「しょっちゅう喧嘩してても、ほんとは仲良しなのよね」というドラミちゃんのセリフでこの話は終わり、二人の友情を再確認して読者は大きな感動に包まれることとなります。
まとめ
AIやロボットの役割は、本来的には人間の代わりに仕事をすることや人間ができない仕事をして、問題解決のサポートをすることですが、この話を読むとAIやロボットは本来的な役割を超えて本当の友人の様にもなり得るかもしれないと思ってしまいます。何せわざわざ不便なロボットと一緒にいることをのび太くんは選んでおり、それを読んでいる読者もその選択に納得したうえで感動しているからです。
chatGPTが進化して友達が人間からAIに置き換わる未来が来ても、それはそれで人間味溢れる文化を継続することはできるのではないかと、この話を思い出してから考えれるようになりました。みなさんも、迫りくるテクノロジーの時代はポジティブな気持ちで受け止めていきましょう。
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