オルテガ・イ・ガゼット『大衆の反逆』紹介と感想

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オルテガ・イ・ガゼット『大衆の反逆』紹介と感想古典
オルテガ・イ・ガゼット『大衆の反逆』紹介と感想
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 スペイン人哲学者オルテガによって1930年に書かれた『大衆の反逆』は、近代に出現した「大衆」を徹底的に観察し内面から批判的な考察を加え社会に警鐘を投げかけた哲学書です。20世紀前半に書かれた古典ですが、現代も含めいつの時代にも通じる批判が書かれており、時代が進むにつれて彼が警鐘した通りの「大衆」が増していっているように思えてしまいます。
 オルテガが「大衆」と呼んだ人々とは一体どの様な人々のことなのでしょうか。できるだけわかりやすく解説していこうと思います。

概要

1930年刊行の大衆社会論の嚆矢。20世紀は、「何世紀にもわたる不断の発展の末に現われたものでありながら、一つの出発点、一つの夜明け、一つの発端、一つの揺籃期であるかのように見える時代」、過去の模範や規範から断絶した時代。こうして、「生の増大」と「時代の高さ」のなかから『大衆』が誕生する。諸権利を主張するばかりで、自らにたのむところ少なく、しかも凡庸たることの権利までも要求する大衆。オルテガはこの『大衆』に『真の貴族』を対置する。「生・理性」の哲学によってみちびかれた、予言と警世の書。

大衆の反逆 (ちくま学芸文庫) 

 20世紀前半は急激な産業化により西欧の先進国は大量消費社会に発展し、人々のコミュニティなどは失われて個人に少しずつ自由が与えられるようになりました。過去の何百年もの歴史で人類がようやく勝ち得た個人の自由が尊重されつつある時代になってきているにも関わらず、いざ自由を勝ち取っても人々は世界の複雑さや困難に耐えることができずに他人と同じように生きることを自ら選択し、他人と異なる人を自分の身の回りから排除するようになってきます。
 その様な現象が進むことによって他人と同じことを好む同質の集団が力を持つようになり、自主的に考えて行動することのない思考停止状態の人々が世の中を支配するようになってしまう。どうしてこの様なことが起こっていたのでしょうか。そしてこれは近年にも言えることではないでしょうか。

 オルテガが本書で投げかけた問いは近代史にも通じ、さらには現代にこそ響く警鐘とも言える、痛烈な大衆批判の古典的名著となっています。

大衆とは

 本書で描かれている「大衆」とはどのような人々のことなのかあらためて確認します。
オルテガが指摘する「大衆」とは、他人と同じであることを苦痛と感じるどころか快感に感じ、自発的に他人と同じように振る舞う人々のことです。大衆人は自分たちが生きることは容易なことで暮らしはゆたかであり、人生に限界を持たず自分のなかに支配と勝利の実感を見出している人々だと言います。
そしてその支配と勝利の実感が彼らのあるがままの自己を肯定させ、強い自己満足を与えるばかりか、他者からの指摘に耳を貸さなくなり世界には自分と同類しか存在しないかのように振る舞います。そんな大衆人たちは自分たちの凡俗な考えを疑うこともなく行動に移すようになってしまいます。

 オルテガはこの様な大衆のことを「慢心しきったお坊ちゃん」と痛烈に皮肉って批判的に描いています。本書はエッセイの形式を取っているので古典にしては非常に読みやすい文体であるため、彼の批判的な文章は私たち読み手に非常に伝わりやすく、読んでいて耳が痛い気持ちになる人も多いかと思います。
 読者側はこの痛烈な皮肉を読み取りながら、自分自身について自問自答を続け、周囲の身近な存在との関係性などをあらためて考え直すきっかけを貰うことになります。皮肉られてしまう訳なので心地よい気持ちではありませんが、現代だからこそ自分自身が「大衆」として周囲に流されて生きていないか、自問自答することができる一冊になっています。オルテガの皮肉に耐えて自分と向き合い、日々の行動に移していくことが大切になります。

貴族と知識人への考察

 オルテガは大衆への批判を通して、世の中で語られる「貴族」についての定義や考え方と、大衆の中の知識人についても言及しています。それぞれあらためて定義しなおすことで、社会における役割についてと、それぞれがどの様に生きていくのが理想なのかを考えることができるようになります。

貴族について

 「大衆」に対して対照的な存在として「貴族」という言葉を想起しますが、その際は金持ちやエリートととらえる方も多いと思います。しかし本書でオルテガが「貴族」と読んでいる人たちはその様な世襲的な人々のことを差している訳ではありません。
 オルテガが「貴族」と呼んでいるのは先述した「大衆」と対置させるように、社会的な責任に対して他者との対話を通して自ら考えて能動的に向き合っていく、貴族的で高貴な精神を持っている人々のことを「貴族」と呼んでいるのです。こういった高貴な精神が現代では大衆から失われてしまっていることをオルテガは批判しています。

知識人について

 オルテガが批判している大衆をさらに具体的に見分けていきます。「大衆」というと一般的な労働者を真っ先にイメージするかと思いますが、オルテガは決してそうではないと言い切っています。彼が批判している大衆は「専門家」であり、具体的には技師、医者、財政家、教師等々のことを指しているのです。これはどういうことなのでしょうか。
 オルテガが批判しているのは、専門であるということではなく、専門家たちの専門以外への関心のなさおよび無責任さにあります。彼らは、政治、芸術、社会慣習または自分の専門以外の学問については学ぼうとせず、その考えを受け容れる姿勢も持っていないと痛烈に批判しています。

 専門性の高い職業に就くと権威や富を得ることができるようになり、自身の安定から社会への関心が自分に関連付かなくなるということは考え得ることだと思います。オルテガが言っているのは、そういった専門家こそ社会に対して関心を持ち責任を持つ必要があるにも関わらず、彼らが大衆化してしまったことでヨーロッパが堕落してしまったと言っています
 大衆の定義をしっかりと指摘することで多くの読み手が自分事として考えることができるようになっているオルテガの観察力の高さがわかる視点だと思います。

最後に

 本書『大衆の反逆』は20世紀前半に書かれた古典であるエッセイですが、今も色褪せないどころか、「今だからこそ」メッセージが現実味を帯びてきている歴史的な名著だと思います。文庫版で読みやすくなっていますし部分的に読み直すこともしやすい構成なので、古典を読んでブレない思考を身に付けたいという様な方には、ぜひとも『大衆の反逆』をおすすめしたいです。

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