遠藤周作『沈黙』の紹介と感想

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遠藤周作『沈黙』の紹介と感想日本文学
遠藤周作『沈黙』の紹介と感想
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 2017年にマーティン・スコセッシ監督により映画化されて話題になった『沈黙』は、17世紀の史実を基にした日本におけるキリシタン弾圧を、ポルトガル人司祭の視点から描いた歴史小説です。世界的にも評価が高く、戦後日本文学の代表作とも言われています。キリスト教に馴染みがない信仰を持たない日本人にとっては、歴史と宗教について考えるきっかけを得られる作品でもあるので非常におすすめできる名作です。
 『沈黙』を、宗教について学んだことがない学生さんに興味を持つきっかけとしておすすめをする方も多いようです。難しそうとは思わずぜひとも読んでみて欲しいと思います。

あらすじ

島原の乱が鎮圧されて間もないころ、キリシタン禁制の厳しい日本に潜入したポルトガル人司祭ロドリゴは、日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、ついに背教の淵に立たされる……。
神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、〈神の沈黙〉という永遠の主題に切実な問いを投げかける長編。

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『沈黙』のおすすめポイント

 宗教に馴染みがない現代の日本人にとっては一見ピンとこないストーリーかもしれませんが、
外国人の視点で描かれているために我々は外から見た当時の日本を思い描きつつ信仰や歴史について考えることができるようになります。
また、キチジローの様な人によっては自身を投影しやすい日本の庶民的なキャラクターもいることから、普段馴染みのないものとして考えてしまう宗教問題を身近なこととして考えられるような側面も持ち合わせています。
 冒頭にも書いたように『沈黙』を宗教について学んだことがない学生さんに興味を持つきっかけとしておすすめをする方も多いようです。その理由としては、外国人の視点から描かれていることと、キチジローというキャラクターがいるからかもしれません。

外国人の視点から見た日本を追体験できる

 『沈黙』は世界的に評価されている一方で日本国内でも戦後日本文学の代表作と言われるほど評価されている作品です。その理由の一つに、日本人作家が外国人を主人公にさせているという特徴があると思います。
 外からの視点というのは重要なもので、読者を客観的な視座に連れて行ってくれる特徴を持ちます。
当時の日本人の視点もしくは現代の日本人が歴史を回想して、当時のキリシタン弾圧の様子を描写していたとしても、『沈黙』で描かれているテーマは決して描けませんし、私たちが色々な立場の登場人物に心を寄せて考えることもできなかったと思います。

日本人にも投影しやすいキャラクター「キチジロー」

 スコセッシ監督の映画版では窪塚洋介さんが演じたキチジローという日本人の登場人物がいます。
彼は弱くてずるいどうしようもない男で、裏切り者でもあります。読んでいると彼の信念のない言動や行動に苛立ってしまいがちなのですが、当時の厳格な時代のなかに彼の様な弱さのある人間が登場していることが物語をリアルに描きだし、私たち日本人にとっても馴染み深く、時には苛立ち時には思わず共感してしまいながら読み進めることができるのだと思います。
 固い文章が続く作品ですので、彼の様なキャラクターを機に自分や身近な人を投影しつつ読んでみると読みやすいかもしれません。

「沈黙」で何が描かれているのか

 「沈黙」という一見パッとしなくて暗い印象を抱くタイトルですが、結局のところ何が描かれているのでしょうか。もちろんぜひ本作を読んで知っていただきたいところではありますが、簡単に言うと「神の沈黙」が描かれています。
 ポルトガル宣教師はキリシタン弾圧禍の日本で本当に酷い扱いを受けます。耐え難い苦悩のなか自らが信仰していた神に救いを求めますが、神が目の前に降りてきて救いの言葉を投げかけてくれる訳でもなく、何も怒らないという現実が続いてしまい宣教師達は苦難を耐え続けます。

 西洋と東洋が出会う当時の日本という場で、長い歴史を持った信仰に苦しみ「神よ、あなたは何故黙ったままなのですか」と命題を問うことになります。ここから先はぜひ本作を読みながらそれぞれの考え方で思いを巡らせて考えてみてほしいと思います。

最後に

 遠藤周作の『沈黙』を紹介しました。歴史や宗教について馴染みがなく理解するのに苦手意識を持っている人には、ぜひとも本作を読むことから学んでみてほしいと思います。

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