「珈琲」は「コーヒー」と読み、日本人にはすっかり定着しています。
この「珈琲」という漢字はコーヒー以外ではあまり見かけません。
「珈琲」にはどんな由来があり、日本社会に定着するようになったのでしょうか。
太田南畝|日本で初めてコーヒーを飲んだ人物
日本で初めてコーヒーを飲んだ人物は「太田南畝」(おおたなんぽ)という日本人です。
コーヒーが日本で初めて飲まれたのは鎖国時の長崎県出島だと言われており、当時鎖国政策が敷かれていた日本でも、長崎県の出島ではオランダとのみ海外貿易が行われていました。
オランダは17世紀半ばには全世界の植民地にコーヒーを移植させて伝播してきた歴史がありますが、そのなかでアジア地域のセイロン(現在のスリランカ)でもコーヒーを栽培しており、その他アジア地域にもコーヒーを持ち込んでいます。
そういった背景のなか日本の出島でオランダ人がコーヒーを伝えたのは自然な流れだと言えるでしょう。
そこで当時長崎奉行所に赴任していた太田南畝が、「カウヒイ」(コーヒー)を飲んだとされています。
太田南畝曰く、「焦げ臭くて味ふるに堪ず」とのことで、黒くて苦いこの飲み物をどうやら好きにはなれなかったようです。
宇田川榕菴|「珈琲」という漢字の名付け親
「珈琲」という漢字をコーヒーに充てたのは津山藩医で蘭学者の宇田川榕菴(うだがわ ようあん)です。
幕末の頃、西洋からもたらされた医学や化学などの翻訳を行い、日本の近代科学の発展に大きく貢献した人物です。
「珈」は女性が髪に挿す花かんざし、「琲」はかんざしの球をつなぐ紐の意味で、コーヒーの原料であるコーヒーノキの赤い実のついた枝の様子がかんざしに似ていたことから、この「珈琲」という漢字を充てたと言われています。
非常に日本的で風情がある充て方だと思います。西洋の植物学にも精通していた宇田川榕菴だからこそ考え付いた充て方だったんですね。
文明開化による珈琲の夜明け
その後、日本では明治維新が起こり海外の技術や文化が一気に流れ込んできました。これは文明開化と呼ばれています。
文明開化によって多くの日本人が海外へ留学し、現地の文化に直接触れて大いに刺激を受けて帰国してくるようになり、コーヒーは日本の文化人たちに少しずつ好まれるようになっていきました。
参考文献:大人のためのコーヒー絵本/アンヌ・コロン
参考文献:図説 コーヒー/UCCコーヒー博物館
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