天才作家とも奇才作家とも呼ばれる中島らもさんの『獏の食べのこし』を紹介します。
中島らもさんは小説家なので面白い小説をたくさん書いていますが、エッセイもたくさん書いてくれています。小説を読んだことがある人はいかにらもさんが常識の枠にとらわれず自由な発想で奇想天外な考えを持っているかわかると思いますが、そんならもさんが日常どんなことを考えているのかを知ることができるのが彼のエッセイです。今日はそのなかから『獏の食べのこし』を紹介します。
あらすじ
地上の人口は増えているが、獏の数は減っていて、獏の食べ残す夢の量はどんどん増えていっている。闇の少し残る明け方の路地裏やどう見ても女の人の顔に見える天井板の木目の中に、あるいは赤ん坊が握りしめているこぶしの中に獏の食べ残しは潜んでいる。微毒を含有する夢を噛みつづける、夢の依存症となった夢中毒者、中島らもの愛と世界をめぐるエッセイ集。
獏の食べのこし (集英社文庫)
このあらすじはあとがきに書かれているもので、この秀逸さにも天才作家の片鱗が見えるのですが、『獏の食べのこし』も他のエッセイ同様に音楽から文学、お酒や世界各地の文化まであらゆることに触れたエッセイ集となっています。
他の作品と比べると、本作には一貫したテーマの様なものは感じられない一種の散文集といったところでしょうか。しかしいつもよく含まれている「抱腹絶倒」の様なぶっ飛んだ話が少なく、いずれの話も冷静な語り口で書かれている印象を受けます。
だからといって決してインパクトが足りないわけではありません。淡々とした気持ちで気軽にらもさんのエッセイを読み進められる良書ですので、ぜひとも読んでみてください。
「しあわせのしわよせについて」
本作のなかに「しあわせのしわよせについて」という僕の好きな話があります。ここではマイケルジャクソンのギャラの話から始まり、コピーライターでもあるらもさんの広告への考え方が語られます。広告の製作側がわきまえなければいけないことは、描く世界をしっかりと線引きしてから製作することだと言います。消費者の身の丈に合った視線で商品の魅力を描くことが大切なのですが、少しでも庶民感覚からずれると消費者の劣等感を不用意に刺激して批判の対象となってしまう。そのため製作側は正しい感覚で消費者の世界観に合わせたものを描くか、マイケルジャクソンの様な別世界をもってくるか、はっきりとどちらかに決めてしまわないといけない。
この話のなかでは世間とずれた感覚を描いてしまったことにより反感を買ったケースが2つ書かれたのち、「しあわせのしわよせについて」らもさんの考えが語られます。
世の中が根本的に不公平にできていることは誰でも知っている。それについてとやかくは言いたくないし、僕は自分のことを不幸だと思ったことはない。ただ、こういう「自分の手でつかんだのでない天与の幸福」みたいなものを得々とご開陳されるとさすがに虫のいどころも悪くなってくる。
獏の食べのこし (集英社文庫) P.44
不幸をひけらかすのが人に迷惑なのと同じように、幸福だって隠しておくのがよいもののようだ。
強い共感を得るのとともに生きていくうえでの学びも得た気がしました。僕のおすすめの話です。
最後に
夢の中毒者である中島らもさんにが書いた『獏の食べのこし』は、他のインパクトあるエッセイとは一味違った、どこか淡々とした一冊となっています。
淡々としてはいますが、それでも奇才中島らもの考えが書かれた話なので、淡々とした読みやすさがあるというだけでインパクトに欠けているわけではありません。むしろ読み手が素直で何気ない気持ちのまま楽しく読むことができる、最も読みやすい一冊なのかもしれません。ぜひ読んでみてください。
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