村上龍『希望の国のエクソダス』紹介と感想

村上龍『希望の国のエクソダス』紹介と感想日本文学
村上龍『希望の国のエクソダス』紹介と感想
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 2000年7月に刊行された村上龍さんの近未来を描いた長編小説です。中学生が集団不登校を起こし、インターネットを駆使して北海道で独立した社会を形成していくという荒唐無稽に思える設定ですが、中学生たちを通して描かれる現代日本の閉塞感には頷けるところが多く、そんな希望のない社会を生きしまっている私たちにとっては痛烈なメッセージを与えてくれる作品となっています。

あらすじ

2002年秋、80万人の中学生が学校を捨てた。経済の大停滞が続くなか彼らはネットビジネスを開始、情報戦略を駆使して日本の政界、経済界に衝撃を与える一大勢力に成長していく。その後、全世界の注目する中で、彼らのエクソダス(脱出)が始まった――。壮大な規模で現代日本の絶望と希望を描く傑作長編。

希望の国のエクソダス (文春文庫) 

 CNNの報道にてナマムギという16歳の少年がパキスタン北西部で地雷処理をしているというニュースが話題となります。ナマムギは「日本のことはもう忘れた」と言い、生きる喜びや家族愛、友情と尊敬など「ここには全てがある」と迷いなく誇りを持って答えていました。
 その報道に触発されて閉塞感に苛まれていた日本の中学生たちがインターネットを通して繋がり、ネットビジネスを起こして最終的には北海道で独立した社会を形成していくことになります。

 パキスタンで活躍するナマムギは、経済が停滞し閉塞感が蔓延した日本とは対照的な描かれ方をしており、彼の言葉から影響を受けたのは日本の中学生達でした。高度経済成長を経て物質的に不足することがないほどのゆたかな社会を実現した日本ですが、人々は希望を見出すことができずに閉塞感を感じています。しかし一方でそんな社会を脱出したナマムギは、危険に思える地域で「ここには全てがある」と言い切って誇り高く生きています。

 集団不登校を起こす中学生達は現代日本の閉塞感に立ち向かっていくように自ら力強く生きていきます。読者である私たち日本人は彼らを通して現代日本について考え直すきっかけを与えられることになります。

「この国には何でもある。ただ、『希望』だけがない」

 「この国には何でもある。ただ、『希望』だけがない」という印象的なセリフがあり、この小説が表現しているテーマでもあると思います。
 敗戦を機に社会を立て直し奇跡的とも言える高度経済成長を成し遂げたひと昔前の日本は、貧しくて苦しみながらも国民全体が希望を持って生きていました。「希望」の定義にもよりますが、まだゆたかでなかったからこそ必要なものを人々に届けるべく事業を営み成長させていった人もいれば、自分と家庭を守るために年功序列の昇給に身を委ねて会社に所属して生き続けていた人も多くいたでしょう。
いずれにしても当時は日本全体が豊かになって復興して成長していくという集団が抱いていた希望があったために経済成長は成し遂げることができました。
 当時はモーレツ社員という言葉もあったほどで、会社に寝泊まりして働くことが当然というような社会でしたが、最近ではその様な働き方をすることは問題となりうつ病や過労死が社会問題となってしまっています。それも当然なことであり、会社に滅私奉公するにしても年功序列での昇給により安定と成長が約束されていた様な時代だったからこそ、全員がそれを信じて働くことができたという側面がありました。頑張っても報われないという時代に、当時の様に会社に滅私奉公することができるかと言えば難しいのではないかと思います。

 時代が変わりこれから人口も減少していくという社会で、私たち日本人は独立した考えを持ってこの閉塞感のある社会での生き方を変えていかなければなりません。
 村上龍さんは当時から日本に対してその様な危機感を抱いており、中学生達を主役にすることを通して希望のない現代日本を描きメッセージを与えてくれました。

最後に

 執筆当時から20年以上が経過しましたが、未だに日本が閉塞感を抱き希望を見出せていない状況は変わっていないように思います。一方でデジタル技術の発展は先進国に比べると遅れてはいながらも日本にも浸透し、インターネットを通して個人の独立した意志を叶えることはしやすい社会になっていると言えるでしょう。
 これからの時代に希望を見出せるかどうか、どの様に生きていくかは全員がそれぞれ意志を持って考えて行動しなければなりません。今読んでも色あせることのないメッセージを与えてくれる『希望の国のエクソダス』。未だに閉塞感のある社会だからこそ、一度読んでみてほしいと思います。

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