天才作家とも奇才作家とも呼ばれる中島らもの『恋は底ぢから』を紹介します。
中島らもは小説家なので面白い小説をたくさん書いていますが、エッセイもたくさん書いています。小説を読んだことがある人も 著者が日常どんなことを考えているのかを知ることができるためエッセイは非常におすすめです。今日はそのなかから『恋は底ぢから』を紹介します。
あらすじ
「恋は世界でいちばん美しい病気である。治療法はない」女子高生が一番いやらしいと断言できる訳について。結婚について。ご老人のセックス。いやらしいパパになる条件。清潔と身だしなみについて。親の心について。などなど。恋愛の至高の一瞬を封印して退屈な日常を生きる「恋愛至上主義者」中島らもの怒涛のエッセイ集。
恋は底ぢから (集英社文庫)
このエッセイも他作と同様に「おもろいこと」がたくさん書かれた散文集の様なエッセイとなっていますが、そのなかでも恋愛について多くの話が書かれています。詩的な文章で書かれた話からユーモアの効いた現実的なことまで、恋愛を軸に中島らもの考え方を楽しく読み進めることができるエッセイとなっています。
「その日の天使」
『恋は底ぢから』のなかで強く印象に残っている話があります。それが「その日の天使」という話で心に強く残る考え方なので簡単にご紹介します。
死んでしまったジム・モリスンの、何の詩だったかは忘れてしまったのだが、そこに
恋は底ぢから (集英社文庫) p.53
”The day’s divinity, the day’s angel”という言葉が出てくる。
英語に堪能でないので、おぼろげなのだが、僕はこういう風に受け止めている。
「その日の神性、その日の天使」
大笑いされるような誤訳であっても、別にかまいはしない。
一人の人間の一日には、必ず一人、「その日の天使」がついている。
その天使は、日によって様々の容姿をもって現れる。
暗い気持ちになって冗談にも死にたいと思っている日に、偶然知人から電話がかかってきたりした場合、その知人を「その日の天使」であると言います。本書の「恋づかれ」という話にも、「恋愛は永遠を孕んだ瞬間であり、至高の瞬間以外は日常へ下っていくのだ」と書かれています。
長い人生において毎日毎日に心揺さぶるドラマチックな展開は訪れません。平凡な一日、それもストレスが多かったり死ぬほど退屈だったりする日が大半を占めているでしょう。そういった日々を何十年も過ごしていくことは思った以上に困難であり、どこかで心がぽっきりと折れてしまうかもしれません。
そんな日々でも「その日の天使」の考えを持つことで、毎日のちょっとした出来事を自分の中のその日の天使に昇華させることができ、日々を有意義に過ごすことができるようになります。僕も現実的な日々を過ごしていると時々すごく暗い気持ちになるのですが、そんな時にこの話を読み直したり思い出したりしています。
最後に
恋愛についてユーモアたっぷりでそして真剣に書かれた本作『恋は底ぢから』。あとがきでは「これは僕にしてはガラにもない本である」と書いています。人を感動させて泣かせることよりも笑わせることに重きを置いていた人で、そんな著者がガラにもなく恋愛について書いた貴重なエッセイが『恋は底ぢから』です。ぜひ読んでみてください。
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