村上龍『インザ・ミソスープ』の紹介と感想

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村上龍『インザ・ミソスープ』の紹介と感想日本文学
村上龍『インザ・ミソスープ』の紹介と感想
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 『インザ・ミソスープ』は1997年に読売新聞社から刊行された村上龍のサイコ・サスペンス中編小説です。
 村上龍さんと言えば『コインロッカーベイビーズ』や『限りなく透明に近いブルー』など、日本を代表するような有名作品を多く書いていますが、その様な代表作と比べると本作の知名度はそこまで高くなく、馴染みがないという人も多いかと思います。
 僕は代表作も含めて村上龍さんの作品はたくさん読んできています。確かに本作が話題になることは今ではほとんどないですが、それでも僕のなかでは本作が物凄く印象に残っており、日本人としての在り方を考えるうえで強く影響を受けている一冊です。

 少し過激な描写も目立つ作品ではあるので苦手な人もいるとは思いますが、興味がある方はぜひ読んでみてください。

あらすじ

夜の性風俗ガイドを依頼してきたアメリカ人・フランクの顔は奇妙な肌に包まれていた。その顔は、売春をしていた女子高生が手足と首を切断され歌舞伎町のゴミ処理場に捨てられたという記事をケンジに思い起こさせた。ケンジは胸騒ぎを感じながらフランクと夜の新宿を行く。97年夏、読売新聞連載中より大反響を引き起こした問題作。読売文学賞受賞作。

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 主人公のケンジは年末に歌舞伎町で性風俗の案内をしており、フランクという少し不気味なアメリカ人を案内することになります。あらすじにもある女子高生の事件とフランクに関連があるのかはわかっていないのですが、どことなく不穏に思いながらもケンジはフランクの案内を続けます。
 フランクの視点で語られる歌舞伎町に集まる日本人を通して、読み手である私たち日本人がどの様に生きてしまっているのかが痛烈に描かれていきます。

フランクの視点

 ケンジは母親には予備校へ行っていると言っておきながら、本心では大学には行きたくないと考えており、現在は歌舞伎町で外国人向けの性風俗アテンドをしてお金を稼いで暮らしています。
ジュンという彼女がいて、彼女との会話からもケンジが現代の日本社会に対して希望を見出せておらず、大多数の大人を嫌悪している感じがあります。
大学に進学しても理系を卒業して専門職に就くには勉強が足りず、文系を卒業してサラリーマンにはなりたくないと考えています。現在もそういう考えの若者たちは多いでしょう。

 そんなケンジのもとにアメリカ人であるフランクが顧客として現れますが、歌舞伎町の風俗店を案内する過程で、フランクから日本という国や日本人という国民に対しての考えが語られていきます。
直接的な否定ではないが不思議に感じている、というような語り口で描かれているのですが、先日起きた女子高生の殺人事件の記憶と結びつく面もあり、ケンジは少しずつフランクを恐れるようになっていきます。実際にフランクが何をしたのかは本書をお読みになって確かめていただきたいのですが、フランクが日本人に対して語った内容からは、現代の日本へ村上龍さんが警鐘を鳴らしているテーマが盛り込まれています。

1億総中流社会の終焉

 フランクの話からは多くの他国の話が出てきますが、その一方で歌舞伎町にいる日本人達の価値観は国内の身内の範囲内に限られていて外の世界に考えを巡らせることなく、現代の世の中の流れに乗って自分自身の考えを持つことを辞めた思考停止で夢のない状態の人々ばかりです。
 周囲と同じであることを好む人が多くいると思います。ひと昔前の高度経済成長期では、1億総中流とも言われるほどの経済状況だったので日本人の大多数が流れに乗って自分の意見は言わずに生活していても、様々な国際的な状況によってうまくいっていました。
 バブル崩壊後に経済は停滞に傾き、かつての1億総中流時代はとうに終わりを迎えています。かつては1億総中流という共同幻想に身をゆだねていても奇跡的な発展がありましたが、時代が変わっても尚、思考停止で生きている日本人で良いのだろうか。そんな強くて耳が痛くなってしまうような辛辣なメッセージを僕はこの話から感じました。

自分の意志を表現しないこと

 多くの日本人がフランクから否定されましたが、ケンジは間一髪で否定されることはありませんでした。ケンジと他の日本人の違いはなんだったのでしょうか。
 それはケンジがかろうじて自分の意志をフランクに伝えたことによります。フランクの様な不気味で恐ろしい存在に対して、ケンジがかろうじて「NO」と自分の意志を伝えるシーンがあります。
明確に説明があるわけではありませんが、フランクが他の日本人を許さずケンジを友人として認めたのはこの様な自分の意志を表明している点にあると言えます。
 これも普段なかなか自分の意見が言えない日本人としては耳が痛い話かと思います。周囲に乗っからずに自分の意見をしっかり伝えること。その重要性を僕はこの小説から感じ取りました。

インザ・ミソスープとは

 日本を象徴するものとして、この小説のタイトルでもある味噌汁が表現されますが、フランクは味噌汁のことを奇妙なブラウンで人間の汗のような匂いのする洗練された上品なスープと言い、これを飲んでいる国に興味があったと語っています。
 本作の一連の事件を読み終えたあとに、この象徴である味噌汁を考えてみると、猟奇的な存在であるフランクの様な外国人が現れた時に、現代の味噌汁の様な共同体に紛れている状態の日本人の在り方で良いのか、と自問自答をするような読後感を味わうことになっていきます。味噌汁が日本をどの様に表しているのか、本作を読んでみることで自分と日本と照らし合わせて考えるきっかけになってくれるはずです。
 初めは変なタイトルだと思っていましたが、本作にぴったりで私たち現代人が受け取るべきメッセージを持った素晴らしいタイトルだと思います。

最後に

 過激な描写のあるショッキングな作品ではありますが、本作を通して自分と日本人について考えてみるきっかけを貰える衝撃作『インザ・ミソスープ』。あまり長い話ではないので、もし抵抗がないようでしたらぜひ読んでみてください。

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