『「豊かさ」の誕生』と『セロトニン』から考える幸せの条件

『「豊かさ」の誕生』と『セロトニン』から考える幸せの条件雑記
『「豊かさ」の誕生』と『セロトニン』から考える幸せの条件
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先日紹介した『「豊かさ」の誕生』という本について、もう少し詳しく書いていきたいと思います。今回は文庫版の下巻に当たる部分を少し踏み込んで考察していきます。
上巻では人類の歴史を分析しながら「豊かさ」が誕生するための条件を探っていく内容でした。主に繫栄するために必要な条件は「私有財産権」「科学的合理主義」「資本市場」「輸送・通信手段」の4つであるという分析です。下巻では繁栄できた国とできなかった国を細かく分析し、その後は国民の「幸福度」についても触れています。「豊かさ」と「幸福度」はどれほど関係があるのかということです。

原因と結果の循環

原因と結果の関係性がわからなくなってしまうときに「鶏が先か、卵が先か」と言った表現がよく使われるかと思いますが、『「豊かさ」の誕生』の下巻においては、民主主義が経済発展をもたらしたのか、それとも経済発展が民主主義をもたらしたのかという分析が行われます。確かにどちらが先に立つのかというと、民主主義による議論と努力によってそれぞれの国が繁栄していくというイメージが一般的かと思っていましたが、本書の主張における立場は「経済発展が民主主義をもたらした」というものです。これは発想の転換となりました。順を追って簡単に説明します。

まず、冒頭で記載した4つの条件(「私有財産権」「科学的合理主義」「資本市場」「輸送・通信手段」)が整った時に初めてその国に「経済発展」がもたらされます。
「経済発展」がもたらされるとその国は「繫栄」します。そして国が「繫栄」することでようやく「民主主義」が勃興する、そういった順序だという分析です。つまり民主主義が経済発展をもたらすのではなく、経済発展による繫栄があって民主主義が生まれるということです。こういった政治的な議論や個人の思想や物語をすっぱ抜いた分析が、歴史的な視座を持った本書の痛快で面白いところだと思っています。本書の主張を原因と結果で考えると、まず「経済発展」をして豊かになることが必要だったということになります。

私たちはあらゆる場面で原因を努力不足や勉強不足を原因として考えてしまいがちです。しかしそうではなく、「経済発展」と「豊かさ」が幸せをもたらしてくれていたんですね。自責の念を持ちやすい人にとっては発想の転換になる考え方になるかもしれません。少なくともマクロな視点が足りない僕にはその様な価値観を学ぶことができた点が本書からの何よりの学びでした。さて、それでは「豊かさ」が繁栄の先に立つという価値観について、よりミクロな視点、個人においてはどうでしょうか。そこを考えてみたいと思います。つまり幸せに見えるあの人は「幸せだから豊かなのか」「豊かだから幸せなのか」という考察です。

ミシェル・ウェルベック「セロトニン」から考える「豊かさ」と「幸せ」

マクロな視点で豊かさと幸福度の相関を考えてみると、豊かさが幸せをもたらしている可能性は高そうに思えます。つまりお金持ちは幸せなのだろうか、そういう話になってきます。時々、潤沢な資産を築いたことによりその富を寄付のかたちで還元したり、無償の支援活動に参加している、豊かなうえに人としてよくできている方を見かけることがあります。そういった人は決まって、社会への貢献を通して自身の幸福度も非常に高いです。上述の議論を経ると、その人が立派であるのは元々経済的に豊かであるからということになります。人として立派だからお金持ちになったわけではなく、お金持ちだったからその結果立派になったということです。もちろん世の中にはもともと貧乏な暮らしをしていて自身の身一つで莫大な資産を築く才能ある人も多く存在しますが、それは極々少数の例でしょう。多くは恵まれた環境あっての意義ある活動なのかもしれません。

…なんだか格差というものをどうしても感じてしまう結論が導かれてしまいそうです。僕たち生活に余裕のない庶民は社会に貢献することができないのだろうか…!
経済学を学んでいる時によく陥ってしまう、突きつけられた現実に絶望してしまうマインドです。こういう時は文学の出番になります。昨年僕が読んで最も印象的だった小説「セロトニン」からこの例を考えてみましょう。

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この小説はフランス人作家のミシェル・ウェルベックの作品で、先進国であるフランスの中流階級の中年男性が主人公です。本書ではまさに「豊か」な男性が登場するのですが、彼は物語の初めから終盤まで、彼の過去を回想しながら終始絶望をし続けています。その絶望具合がわかる箇所を引用しましょう。

現在のぼくの状態を要約するなら中年の西欧男性、数年は生活のために働かなくてもよく、身内も友人もいず、個人的な計画も真に興味を持つ対象もなく、これまでの職業生活には深く絶望し、恋愛の面では多様な経験があるが、どれも終わりを告げたという点では共通し、生きる理由の根っこが欠けているが死ぬ理由もなかった。

セロトニン(単行本) P.69

こんな具合です…。貧困や紛争や災害、または病気など(うつ病には罹患していますが)に苦しんでいない、本来は豊かで幸せを手に入れたはずの現代人が、本当に深く絶望している様が描かれていきます。幸せには「豊かさ」が先に立つという考察をしましたが、この個人の例を見てみると少なくとも「豊か」であれば幸せになれるという単純な相関ではないようです。「豊かさ」は幸せの前提条件としては必要なのかもしれませんが、それをどう感じて生きていくかは個人によってしまうのでしょうか。しかし「セロトニン」で主人公の視点から描かれていくフランスの現代社会には希望がなかなか見えず、社会が個人の価値観に及ぼした影響ももちろんあるように思います。

お金では幸せは買えないが…

結局、「豊かさ」と「幸せ」を考える堂々巡りの議論になってしまいました。答えはまだ出すことができませんが、「豊かさ」がもたらしてくれる繁栄は前向きに享受すべきではあるけれど、幸せを感じることは一筋縄ではいかないと考えておこうと思います。こういったことは年末年始など、忙しさに追われずに立ち止まった時に考えてみると、日々を大切に過ごすことができそうですね。最後に『「豊かさ」の誕生』の著者バーンスタイン氏の母親の言葉を引用して終わりにします。

お金では幸せは買えないが、お金があれば少なくとも居心地のよい場所で苦しむことができる。

リリアン・バーンスタイン(著者の母親)『「豊かさ」の誕生』下巻 P.177

うーん、これは少なくともあってる…。「豊かさ」を求める必要はありそうですね。
それではみなさん、今年も少しずつ頑張っていきましょう。ここまでお読みいただきありがとうございました。

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