日本で最も広く飲まれているカクテルはチューハイです。
バブル崩壊後デフレに突入した日本社会ではビールの消費量が減っていきます。
最近はクラフトビールなども人気が出てきていますが、日本のビールは酒税が高いので景気が悪いと売れません。
そういった傾向に対抗するように、酒税を抑えることができる発泡酒や第三のビールが台頭します。そんななか缶チューハイが市場に参入して現在の様な盛り上がりを見せるまでに至りました。
さて、そんなチューハイですが、発祥の地はどこにあるのでしょうか。
チューハイは、焼酎を割って安酒を飲む文化が下町の酒屋で売られるようになり、そこに酒造メーカーが参入して居酒屋チェーンが協力し、後に氷結やストロングゼロなどが生まれています。
それでも、どうやら明確な起源や発祥の地は定かではないようです。しかし、一カ所だけ思いつく街があります。それは神奈川県の海軍の街「横須賀」です。
横須賀のどぶ板通り|チューハイ文化の発祥地
神奈川県横須賀市は米軍基地の街で海軍基地があります。
そのため街全体にアメリカの文化が浸透しており、もちろん飲み屋の文化も大きな影響を受けていることがわかります。
横須賀市のなかに「ドブ板通り」と呼ばれる飲み屋街があり、ここでは昼間から酒を飲むことができるお店が軒を連ねています。
ここを利用しているのは横須賀の米軍基地関係者達で、飲み屋はどこもアメリカのバーの様な雰囲気のお店ばかりです。ドルも利用できてお客さんも半分以上がアメリカ人です。
そんな「ドブ板通り」のお店でよく見かける看板には「CHU-Hi」という文字が目につくようになります。
どうやらこの通りにはチューハイが文化として根付いている様子です。これは一体どういうことなのでしょうか。
伝説のお店ヒデヨシ商店|チューハイ文化への貢献
神奈川県の京急線・汐入駅から徒歩数分に非常にディープな酒屋「ヒデヨシ商店」があります。
ここの外観はいかにも日本の酒屋さんといった感じでいわゆる角打ち(酒屋で酒を買って酒屋で酒を飲む文化)を行っているのですが、お客さんの8割以上がアメリカ人という異様な光景が繰り広げられています。
そしてここのアメリカ人のお客さんたちはみんな賑やかで楽しそうにカラフルなチューハイを飲んで楽しく過ごしています。
壁には一面手書きのメッセージ付きのドル札が貼られていて、これはお客さんが自由に書いて貼ってるのだとか。
かつて横須賀では飲み屋も多く栄えていましたが、軍港の海軍関係者をお客さんとしていたお店も船が帰港する時期以外には閑散期となってしまいました。
しかし船がいつ横須賀港に戻るかは国家機密であり予想することは困難だったため、保存が効く酒屋が自然と生き残ったのです。
生ビールは廃棄する必要がありますが焼酎と割り物でつくるチューハイなら保存ができるというわけです。
ヒデヨシ商店の店主は人種や国籍でお客さんを選ぶ事は決してしないことで有名です。
かつて騒いで他のお客さんに迷惑をかけていた日本人を追い出してアメリカ人のお客さんを助けたというエピソードも聞いたことがあります。
こういった姿勢もアメリカ人から愛されるきっかけになったことは間違いないでしょう。今ではここは「チューハイスタンド」と呼ばれているそうです。
横須賀とチューハイ文化|地域文化との交錯
カラフルな色合いで甘くて飲みやすいチューハイはアメリカ人に大いにウケました。焼酎の水割りのような渋さや深みよりも賑やかで楽しい飲酒が好まれる文化なのでしょう。
ヒデヨシ商店の様な伝説的な酒屋がチューハイの発祥を支えて、どぶ板通りで地域の文化として根付いたのではないかと、チューハイ発祥の物語を想像しています。
もちろん東京の下町で育まれた焼酎ハイボールの歴史も存在するのでしょうが、横須賀での歴史が一役買っていることは間違いないのではないかと思います。
手頃な価格で飲めるチューハイ。みんなで飲むと楽しくさせてくれる素敵なお酒だと思います。
雑学を知ることで更に美味しくなることもあるはずです。このブログではアイスクリームの歴史やアジフライの歴史など、珍しい歴史も紹介しています。興味のある方はご覧になってください。
最後に
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