エチオピアに起源を持つコーヒーはアラビア半島を北上し、トルコそしてイタリアを辿ってヨーロッパで流行します。
17世紀にはイギリスにコーヒーハウスという現在で言う喫茶店文化が誕生し、ドイツでも18世紀にコーヒーハウスが誕生しました。
さて、何故イギリスとドイツの2国でコーヒーが好まれたのでしょう。
それにはコーヒーベルトとワインベルトという緯度に関わる地形の理由が存在していました。また、ドイツに関しては政治的な歴史も大きく関係しています。
ワインベルトとコーヒーベルト|地理が形作る飲料文化
ヨーロッパに渡ったコーヒーですが、フランスやイタリアは気候が温暖であることもあり、国民はコーヒーよりも自国で生産されるワインを好んで飲んでいました。
フランスとイタリアはワイン生産に適した気候となる緯度に位置していて、この一帯はワインベルトと呼ばれています。一方でコーヒーの生産には温かい気候が適しており、こちらはコーヒーベルトと呼ばれています。
また、イギリスやドイツはフランスやイタリアに比べて緯度が高くワインベルトには属していません。そのためワインは輸入に頼られていました。
そんなイギリスとドイツは寒冷な気候でもあることから、温かいコーヒーの消費の方が伸びていったのです。
フリードリヒ2世とコーヒー|政治がもたらす変化
ドイツと言えばビールが有名です。ビールはドイツの主要産業として栄えており、当然自国のビールを他国に売り出したいとドイツは考えていました。
当時の皇帝はフリードリヒ2世です。彼はコーヒーの人気が増すことによって貿易収支が赤字になってしまうことに早くから気づいていました。
自国のビール産業を推奨していたフリードリヒ2世はコーヒーの流行を好まず、コーヒーの輸入・製造を禁止する法律を制定します。
この様な強硬策によってコーヒーの消費量は一時的に下火になりましたが、こういった時に人間の心理は強く影響することになります。
禁止されることによって人々のコーヒーへの欲求は高まっていきます。
そしてフリードリヒ2世の死後、コーヒーを禁ずる法律は無くなり消費量が急激に高まりました。もともと寒冷な気候であることも手伝ってドイツにコーヒーの文化が定着することになったのです。
こうしてコーヒーはドイツまでも席巻し、隣国のオーストリアでもコーヒーは愛されることになります。
あの「ウインナーコーヒー」はオーストリア発祥です。
ヨーロッパへ伝播されると器具の発達もありあらゆる飲み方も試され、多くの文化が生まれています。
歴史はこの後も続き、新大陸アメリカそして日本へも伝わっていきます。
気に入ったらツイートしてねTweet
参考文献①:ツウになる! コーヒーの教本/諸山 泰三 フワッティカフェ
参考文献②:図説 コーヒー/UCCコーヒー博物館
コメント