ミシェル・ウェルベック『セロトニン』の紹介と感想

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ミシェル・ウェルベック
ミシェル・ウェルベック『セロトニン』の紹介と感想
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 ミシェル・ウェルベックは1958年生まれのフランス人作家で、98年『素粒子』がベストセラーとなり、2010年『地図と領土』でフランスで最も権威のある文学賞であるゴンクール賞を受賞しました。
2015年にイスラム教批判とも捉えられるスキャンダラスな小説『服従』が発売され、奇しくもその日にシャルリー・エブド襲撃事件が起きたことで一挙に有名になり、日本でも広く知られることになります。
 『服従』発売後、2019年9年に本作『セロトニン』が出版されました。本作も主人公の回想を通して個人と現代社会の関係が現実的にそして陰鬱に描かれていきます。

あらすじ

巨大化企業モンサントを退社し、農業関係の仕事に携わる46歳のフロランは、恋人の日本人女性ユズの秘密をきっかけに“蒸発者”となる。ヒッチコックのヒロインのような女優クレール、図抜けて敏捷な知性の持ち主ケイト、パリ日本文化会館でアートの仕事をするユズ、褐色の目で優しくぼくを見つめたカミーユ…過去に愛した女性の記憶と呪詛を交えて描かれる、現代社会の矛盾と絶望。

セロトニン 単行本

本作の主人公はフロラン=クロード・ラブルスト。46歳のフランス人です。彼は日本人の恋人ユズの秘密を知ってしまったことと、放映されていた蒸発者に関するテレビ番組を見たことをきっかけに、自分自身も蒸発者になることを決意します。本書のなかでフロラン=クロードは自身の状況をこのように語っています。

 現在のぼくの状態を要約するなら中年の西欧男性、数年は生活のために働かなくてもよく、身内も友人もいず、個人的な計画も真に興味を持つ対象もなく、これまでの職業生活には深く絶望し、恋愛の面では多様な経験があるが、どれも終わりを告げたという点では共通し、生きる理由の根っこが欠けているが死ぬ理由もなかった。

セロトニン(単行本) P.69

 先進国であるフランスで生まれ、国内でも上流階級の出身であるにも関わらず、生きることへの活力を全く見出せていない精神状態が病的に描かれています。本作では彼の蒸発してからの日々が過去の回想と交錯しながら語られていきます。また、彼はキャプトリクスという目覚ましい効果を発揮する抗鬱剤を服用していますが、この薬の副作用に性欲の衰退と消失があります。
 過去の作品『プラットフォーム』では西欧現代社会で生きる意味を見出せなかった主人公が東洋で性産業に足を踏み入れて解決策を見出しましたが、本作ではその道はキャプトリクスによって閉ざされており彼を苦しめることになります。

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友人エムリックとフランスの農業従事者に対する社会学的考察

 フロラン=クロードは農業の仕事に携わっていることもあり、彼の回想を通してフランス現代社会における農業の衰退が語られていきます。彼自身のキャリアもそうですが、環境化学生命工学学院で唯一の親友だったというエムリックという友人が登場します。
 彼は良心的な思いで農業を志し従事していましたが、世界的な酪農生産とグローバル市場と競わなければならない現実に敵わず苦しみ続け、減り続ける農業従事者の数に今後の明るい見通しも見通せません。
 蒸発して絶望しているフロランと農業の未来を描けずに苦しむエムリック、上流階級出身の二人は暗い未来しか見えないまま大人になって再開し対話を続けます。エムリックは悲劇的な行動に進んでいきますが、この二人が対話をしている時には、若かりし日に夢中になったレコードを一緒に聞くシーンなど、美しい描写も語られます。(Pink Floyd『Ummagumma』に収録されている「Grantchester Meadows」を聞いています)
 この描写は印象的ではあるのですが、絶望的な現状を際立たせているようにも読めるため、解釈は読者それぞれによるかと思います。

生きることへの医師との対話

 フロラン=クロードがキャプトリクスを処方してもらっているアゾト先生という医師が物語の終盤に登場します。蒸発後に自身の人生を振り返りながら悲観的な彼と、アゾト先生は対話を通して薬の処方を決めます。
 アゾト先生はこの時、安楽死への否定的な意志を表明しており、フロランも一応はその意志を理解している様子です。絶望的に思える精神状況と世界観ではありましたが数少ない希望が見えるシーンかもしれません。
 その後フロランはこの一種現代の西洋的な病への対話の後、文学への回想と考察を語っていくことになります。この展開の意味をどう捉えるかは読者に委ねられますが、僕には頼る先を現代の医学から過去の古典文学に移したようにも思え、現代医学の限界を感じてしまいました。

最後に

 本作は今まで以上に陰鬱な作品だったように思いますが、暗い気持ちになったとしてもページを繰る手が止まらない面白さは健在でした。それはウェルベックが現代を見つめている視点の鋭さと、芸術や人生への深みある造詣があるからこそ、私たちは面白く読めるのだと思います。
 共感できるところがあるかもしれないと思った方は、暗い気持ちにはなりながらも引き込まれるように読み進められるかもしれません。

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