今や日本の「カレーライス」は国民食と言えるほど普及しましたが、ここまで普及したのも20世紀になってからです。
どこの国でもそうですが、本場インドから現地へ伝播され、それぞれの土地で独自の変化を遂げながら発展していっています。
今回は日本に本格的なインドのカレーを伝播したインド人についてご紹介しようと思います。
ラス・ビハリ・ボース|インド出身、日本のカレー革命の先駆者
1886年にインドのベンガル地方で生まれた、ラス・ビハリ・ボースというインド人が、後に日本に本格的なインドカレーを伝播することになります。ボースが生まれたベンガル地方のカレーについては別記事で詳しく書いています。
彼は当時イギリスの統治下であったインドで独立運動に参加していました。そしてインド総督襲撃事件に関与したとして、インド政府から追われる身となってしまいます。
そのため、彼はインド政府の追及から逃れるため、1915年に日本への亡命を成功させることとなります。
ところが、当時の日本はイギリスと同盟関係を結んでいました。日英同盟です。
同盟国の敵を国内で自由にさせておくわけにはいかないとして、日本の外務省はボースに国外退去を命じました。
外務省から国外退去を命じられてしまったボースですが、そんな彼を匿った日本人がいます。
現在も新宿に人気老舗食品メーカとして拠を置く、あの「新宿中村屋」の創業者・相馬愛蔵です。
ボースは中村屋で身を隠しながら、日本の地で祖国の独立運動を展開していきました。
昭和初期の日本式カレーとボースの挑戦|純印度式カレーの誕生
昭和初期の日本では既にカレーは庶民へも普及しつつありました。
しかしボースにとって日本のカレーは祖国インドのカレーとは異なる、決して満足できるカレーではなかったのでした。
当時のカレーはイギリスを経由したものであり、ボースがインドで食べていたカレーとは全く異なるものだったのです。本場インドのカレー文化についてはこちらの記事で詳しく書いています。
ボースは本場インドのカレーを再現したく相馬に「純印度式カレー」をメニューとして提案。これが大ヒットすることになりました。
その後、ボースはなんと中村屋創業者の相馬夫妻の娘と結婚し日本に帰化します。
日本名として得た名前は「防須(ボース)」。なんと名付け親は後の総理大臣になる犬養毅なんだとか。
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参考文献:カレーの世界史/井上岳久
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