カレーを通じて日印友好の懸け橋へ A.M.ナイル

カレーを通じて日印友好の懸け橋へ A.M.ナイルカレー
カレーを通じて日印友好の懸け橋へ A.M.ナイル
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 本格的なインドカレーを日本に普及させた立役者は、別の記事で書いたボースとともにもう一人存在します。彼の名はA.M.ナイル。インド南部のケララ州で生まれ、ボースと同様に独立運動に参加していました。

ラス・ビハリ・ボースについてはこちら

 そんな彼が、カレーを通じて日本とインドの架け橋の様な存在になります。始めた事業はインドレストランの創業とスパイスの輸入業です。

A.M.ナイル

 1928年、ナイルは日本の京都帝国大学(現在の京都大学)に留学し、土木工学科に入学しました。ボースと同様に、独立運動に参加していることによりインドにはいられないと悟ったナイルですが、彼は日露戦争でロシアに勝利した日本に行けば生き延びられるだろうと考えていたと言われています。

 この来日によってナイルはボースと出会うことになります。ボースとの出会いを通して、日本におけるインド独立運動の参加者たちと交流を持つきっかけを得ます。ナイルも日本にいながら祖国の政治活動に参加することに身をささげていました。

「ナイルレストラン」と「インデラカレー」

 1947年にインドが独立を果たした後には、日本とインドの友好を計る活動を開始し、その一つがインド料理店の開業とスパイスの輸入業でした。

 「日印親善は台所から」という信念を持って事業を始めたと言われています。インド料理店の名前は自身の名前を冠した「ナイルレストラン」。東京の銀座に日本初のインド料理店として開業し、大ヒットとなったのです。現在も営業中ですので、下記に公式ホームページのリンクを掲載しておきます。

 また、もうひとつの事業として始めていたスパイスの輸入業「ナイル商会」を設立してインドの食材やスパイスの輸入業を開始しました。

20種類以上のスパイスを独自に調合して作ったカレー粉「インデラカレー」は、ロングセラー商品として現在も売れ続けています。

まとめ

 この様な日印の架け橋となる存在を経て、日本は高度経済成長期へ突入します。人口増加に伴い国民は豊かになり、形成された中流層向けに独自の食文化が生まれることになりました。カレーの歴史はまだまだ続きます。

最後に

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もうひとりのインドカレー普及の立役者、ボースについてです。

カレー粉の元祖はイギリスのクロス・アンド・ブラックウェル社(C&B社)です。

参考文献

カレーの世界史/井上岳久

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