天才作家とも奇才作家とも呼ばれる中島らもさんの『さかだち日記』を紹介します。らもさんは小説家なので面白い小説をたくさん書いていますが、エッセイもたくさん書いてくれています。
小説を読んだことがある人はいかにらもさんが常識の枠にとらわれず自由な発想で奇想天外な考えを持っているかわかると思いますが、そんならもさんが日常どんなことを考えているのかを知ることができるのが彼のエッセイです。今日はそのなかから『さかだち日記』を紹介します。
「さかだち」とは「逆立ち」でなく「酒絶ち」のことで、アルコール依存症になってしまったらもさんが酒をやめていく日々の日記が書かれたエッセイです。
あらすじ
酒が飲みたくて近所の酒屋の自販機前。ビールしかないので、買わずに帰宅。その理由は「ビールを酒とは認めない」。
さかだち日記 (講談社文庫)
作家活動の傍ら、劇団を主宰し、バンドではギターを手に声を張り上げる、マルチな異才が、恥溺するお酒と訣別すべく綴った酒断(さかだ)ち日記。作家・野坂昭如との「禁酒」&「バイアグラ」対談も収録。
「さかだち」とは「逆立ち」でなく「酒絶ち」のことで、アルコール依存症になってしまったらもさんが酒をやめていく日々の日記が書かれたエッセイです。酒を断つまでのらもさんの飲酒量は相当なもので常軌を逸していおり、25年以上素面の状態を知らなかったという程です。
アルコール依存症と同時に躁病にもかかり自死を望む様な精神状態になっており、友人から心配されたことを機に生きることを選びます。この作品は禁酒マニュアルの様なものではなく、あくまでらもさんの禁酒エッセイ。そのため、時には酒の誘惑に負けて酒を飲んでしまいます。
らもさんは「勝ったり負けたりだ。酒が買ったり俺が負けたりだ。」と言います。禁欲的な指南書では決してなく日常が面白おかしく描かれており、途中海外旅行にも多く出かけています。それこそ読者は飲みながら読んでも良いかもしれません。
酒への深い哲学
ただの飲酒者の独白日記ではなく、天才奇才作家であるらもさんの禁酒エッセイだけあって、一般論で見出される酒についての洞察とは一味も二味も違う深い深い洞察が書かれています。基本的には1996年5月から1998年4月までの日記がそのまま掲載されているので、起こった出来事と日常的なくだらない考えなどが面白おかしく書かれているのですが、その中でも随所にらもさんの深い価値観が垣間見ることができ、こういった面白いだけなく深みのある点がこの本の好きなところです。
本書の「はじめに」では、酒に依存して廃人になっていってしまう人とそうでない人の違いについて「役割」が関係しているのではと書いています。世の中から役割を見いだせない人にとって、酒は手っ取り早く酩酊を与えてくれるので、そこに依存していってしまうという厳しい現実を書いていますがこれも頷けてしまうところがあります。らもさんはこの事実を自身の経験も鑑みながら「淘汰だ。冷たいような言い方だけど、この世に合わない人は無理に生きていく必要はないと思う。」と弱き者への優しさも含みながら現実を書き綴っています。
そしてらもさんは「酒自体に罪はなくおれはうまく付き合えない」という表現もしています。人間の弱さと酒の純粋さと社会の無情を合わせながら、勝ったり負けたりの日々を読んでいくことができる案外深い読書になるはずです。
旅行記でもある側面
本作の執筆中、らもさんは取材のために海外にたくさん飛び回ります。『エキゾティカ』という僕の大好きな短編小説の執筆のために現地に取材に行っており、その時の日記もこの『さかだち日記』には書かれています。
行先は北京、ホーチミン(ベトナム)、コルカタ(インド)、スリランカ、メキシコ、グアテマラ、香港、アムステルダム、とこうして見てもディープなところばかり行っているなぁという印象を持ちます。らもさんの目を通してこれらのディープな旅先を知ることができるのは、もはや旅行記としても楽しめると言っても過言ではないかと思います。
最後に
ただの禁酒マニュアルではなく、天才作家である中島らもさんの酒と世界との付き合い方が書かれた作品です。そして決してうまく付き合う方法が書かれた訳ではなく、人の弱さにも触れてくれるところが中島らもさんの最大の魅力であり今も多くの人に愛されている理由かと思います。
コメント