天才作家とも奇才作家とも呼ばれる中島らもさんの『僕にはわからない』を紹介します。
数多く書いているエッセイのうちのひとつで、世の中の「わからない」ことについて深く考察したエピソードが書かれた哲学的随想集になっているところが特徴です。
僕はこの本を読むたびに、どれだけ時代が進歩しても本質的なことは「わからない」ままだと納得してすっきりすることが多いです。役に立つかはわからないけれど博学な知識もたっぷり詰まった魅力的な一冊ですのでぜひ読んでみてください。
「わからない」ことについて
この本では、中島らもが感じた世の中の「わからない」ことについてコミカルにそして深く考察して描かれています。例えば本書のはじめの話は『宇宙のほんとのとこはどうなっているのか』です。
この壮大な問いをきっかけに、いかに自分も含めた大人が世の中のことをわかったふりをしてきていたのかに気づくことになるのですが、その「わかったふり」の例が「それが人生というものだよ」という常套句です。
「きみ、つらいだろうが、それが人生というものだよ」という、大人がわかったふりをするための常套句を使うと、失恋してしまいました―それが人生というものだよ、受験に失敗してしまいました―それが人生というものだよ、両親が離婚してしまいました―それが人生というものだよ…と、何でもわかったふりをすることができるといえばできます。
しかし、本エッセイでは、新聞の投書に70歳くらいのおじいさんが投稿した「膨張し続けているという宇宙だが、その宇宙の外はどうなっているのでしょうか」という問いをきっかけに、
「それが人生だよ」では説明がつかない「わからない」ということを勇気をだして口に出すことを宣言します。次章から怒涛のように中島らもの『僕にはわからない』ことへの考察が書かれ、読者もその世界に引き込まれていくことになります。
「わからない」ことの例
本書で書かれている「わからない」ことは世の中の本質的なものばかりで、子供の頃に抱いた素朴な疑問に近いものです。各章の表題が「わからない」ことをそのまま表しているのですが、いくつか挙げてみると下記のような表題が並びます。
…などなど。とっても純粋な疑問ばかりですよね。「人は死ぬとどうなるのか」は誰でも考えたことがあるはずです。この様に、人生においての、特に幼少期には誰もが感じたことのある疑問を、無知と勇気を武器にした中島らもが世の中に問いかけてくれます。
アイスクリームと楽園
本書のなかで僕が大好きな話があります。それが「アイスクリームと楽園」という話です。
中島らもがアイスクリームの歴史を調べていた時にふと感じたことがきっかけで書かれたものなのですが、「古代の人間が思い描く楽園を現代人は超えているのではないか」という話です。
アイスクリームの歴史を辿ることによって、昔の人々がいかにしてこの魅惑のデザートを「一度でいいから食べてみたい」と夢見ていたのかが見えてくるのですが、古くは古代中国に遡ってヨーロッパの大富豪からフランス料理の歴史にまで繋がり、古代の人の想像力と欲望を満たすための行動力を伺い知ることができる興味深い歴史があります。
しかし、現代では「真冬に暖房の効いた部屋でアイスを食べる」といったことを日常的にしていますよね。これって古代の人からすると信じられない進歩的な娯楽だと思いませんか?古代の人の想像力はせいぜい「毎日飽きるほどアイスクリームを食べて過ごしたい」が限界であり、「暖房装置で夏と冬を入れ替えて料理を楽しむ」という発想は古代の人の想像をはるかに超えているだろうという見解なんです。
この話を通して、楽園ってそもそも何だろうか、現代は本当に楽園なのだろうか、そんな哲学的な問いを日常生活においても考えることができるようになります。これに似た例として僕が思いついたのは、「ビールを飲みたいけど酔っ払いたくない」というノンアルコールビールという商品です。古代の人の想像は超えているのではないでしょうか?
本書にはこの他にも深くてコミカルな「わからない」話がたくさん書かれています。興味がある人はぜひ読んでみてください。
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